日本の医療の未来を考える会

第89回 異例ずくめで成立した今年度予算 医療改革に向けた政府の方針とは(厚生労働省大臣官房危機管理・医務技術総括審議官 佐々木昌弘氏)

第89回 異例ずくめで成立した今年度予算 医療改革に向けた政府の方針とは(厚生労働省大臣官房危機管理・医務技術総括審議官 佐々木昌弘氏)
少数与党の下で開催された今年の通常国会では、政府予算案が衆参両院で修正される等、異例の展開を辿った。与野党協議で高額療養費制度の在り方や医療費の削減も議論されたが、結局、財源の議論が先送りされたとの批判も有る。その後、政府の「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)や「新しい資本主義のグランドデザイン」も閣議決定されたが、政府の医療制度改革の方向性に懸念を抱いている人も多いのではないだろうか。6月25日の第89回「日本の医療の未来を考える会」では、厚生労働省大臣官房危機管理・医務技術総括審議官の佐々木昌弘氏に、今年度予算や骨太方針等に込められた国の考えや、病院経営戦略への影響等を講演して頂いた。

原田 義昭氏 「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)米国のトランプ大統領のイランへの攻撃には驚きましたし、賛否も有ります。しかし、結果的にイスラエルとイランの停戦合意を実現した事は評価する必要が有るでしょう。米国の政治や経済の動きは、複雑な世界情勢に大きな影響を及ぼします。トランプ大統領の動きについては、日本も批判的な目を持ちながら追っていかなければならないと思います。

門脇孝氏 「日本の医療の未来を考える会」医師団代表(日本医学会会長、虎の門病院院長)院長として病院経営に当たっていますが、この1年、急速に経営環境が悪化しています。良い医療を提供しようと努力している多くの病院や医療者にとって、現在の状況は非常に厳しい。佐々木氏は、厚労省の職員の中でもオールラウンドプレイヤーで、病院にとって知恵袋的な存在です。本日は今後の病院経営に有益な話が聞ける事を楽しみにしています。

尾尻 佳津典日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)
コロナ禍が収束し、世界各国は医療体制の見直しやAI医療の推進に取り組んでいます。そうした中、ワクチン接種に懐疑的な米国の厚生長官、ロバート・ケネディ・ジュニア氏がワクチン諮問委員会の委員を全員解任して物議を醸しています。メディアも暴走だと批判していますが、彼は政治家として人気が高く、トランプ大統領も一目置いている様です。

講演採録

■異例ずくめの今年度予算審議

今年の予算審議は、少数与党という政治状況の中、高額療養費の取り扱い等を巡り、参議院に議論が移ってから予算案が修正される事になりました。その後、国会では法案審査が有り、6月には政府で、骨太方針2025や新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画が閣議決定されました。こうした動きの中で、現在の政策全体が個々の医療機関経営にどの様な影響を及ぼすのかをお話しします。

日本の医療制度は高い水準に有ると言われますが、それを支えているのは医師や看護師らの自己犠牲によるものだと言われます。米国のヒラリー・クリントン元国務長官が、日本の医療制度を見て、米国ではこの様な働き方を医師に強いる事は出来ないと言ったという話も有る程です。

国もこの様な医師の労働環境は持続可能ではないと考え、昨年4月からは医師の働き方改革が施行されました。他業種に比べると5年遅れの導入で、時間外労働の規制も倍以上の長さにはなっていますが、現場での医師の働き方は明らかに変わってきました。

又、人口減少時代に入り、現在の医療体制は、全国の住民が暮らす地域を全てカバー出来るのかといった課題にも直面します。この課題には、1971年から74年迄に生まれた第2次ベビーブーマーが50歳代に突入した事が大きく関わります。これ迄国は47年から49年に生まれた第1次ベビーブーマーが全て後期高齢者になる2025年をターゲットに、医療や介護を含めた各種政策を進めてきました。現在、今から10年後に更なる脅威が待っている事が現実感をもって迫ってきました。それは、第2次ベビーブーマーが定年を迎えると、深刻な労働力不足が起きる事です。今の雇用慣行で60歳定年であれば、間違いなく起こる事であり、仮に再雇用で労働力は確保出来ても賃金が定年以前の8割になれば、税収も社会保険料納付額も減り、社会保障政策に財源的に影響を与える事になります。

こうした状況の中、厚労省の予算規模は、ここ数年、前年度から微増という状態が続いています。厚労省の予算の柱の1本目として「全世代型社会保障の実現に向けた保健・医療・介護の構築」を据え、2本目に「持続的・構造的な賃上げに向けた三位一体の労働市場改革の推進と多様な人材の活躍促進」を掲げ、3本目は「一人一人が生きがいや役割を持つ包摂的な社会の実現」を挙げています。

この中で、今後の病院経営を考える時に注目したいのは、2本目の労働政策です。保健・医療・介護の1本目は、病院経営と密接に関わりの有る部分であり、医療DXへの対応に直面している病院も多く、注目されていると思います。しかし、働き方に関する政策は大きく変わってきています。具体的に言うと、リ・スキリングやジョブ型人事の導入、副業や兼業を希望する中高年齢者への情報提供等で、労働力の円滑な移動を促す政策を推進しています。

これ迄の日本社会は高校や大学の新卒で就職し、生涯雇用と年功序列型人事を前提としたモデルでした。医師の場合は少し異なりますが、医師以外の医療職や事務職の多くは、こうした働き方をしてきたと思います。しかし、リ・スキリングやジョブ型人事、副業・兼業は、多分にステップアップや転職をイメージしたものです。単に労働者の技能向上やスキルの活用を図るのではなく、年功序列型人事からジョブ型の働き方への転換を図っている事を意味します。これには賛否両論有るでしょうが、労働環境の改善と最低賃金の引き上げを推進する政策下で、病院経営が如何に対応し得るのかを想定しておく必要が有ります。

よく「生産性を向上させる」と言いますが、医療機関で収益、つまり診療報酬収入を増やすのは限界が有ります。2年に1度の診療報酬改定によって自由な価格設定が認められていないからです。これは介護も同様です。そうなると、職員数を減らす等、人件費で調整せざるを得ず、しかも今後、労働人口が減っていく事は確実な中で最低賃金も上げていかなければならない。更に患者の数も減少するという事になれば、病院は、独自性を示し、自分達にしか出来ない役割を確立していかなければ生き残れません。これは、病院同士が調整して、地域内で特化した役割の分担を明確にすれば実現出来るでしょう。

もし一般企業が同様の調整を行えば、独占禁止法に抵触する恐れが有りますが、地域医療では2014年に成立した医療介護一括法で、地域医療構想に基づく地域医療構想調整会議により、役割分担を話し合いで決める事が可能であり、病床機能報告制度を通じた情報交換も可能です。この様な枠組みは既に整えられていたものの、この10年間は、患者の減少が未だ顕在化しておらず、危機感を持つ医療機関は限られていました。しかし、今後は間違いなくこうした調整が必要となるでしょう。その意味で、「2025年問題」と「2040年問題」は、質が異なります。

今年の国会審議では、少数与党が野党と協議や合意する場面が見られましたが、自民、公明、維新による3党合意も有り、社会保障改革で合意しました。詳細は省略しますが、参議院選挙を終えた後、概算要求や臨時国会、年末の予算編成、来年の通常国会と順次、具体的な施策が固まっていくでしょう。何より、年末には診療報酬の改定率決定、慣例だと年明け2月には改定メニューが決定されます。

■法案改正と病院にも求められるカスハラ対策

政府は今国会に59本の法案を提出しましたが、医療法改正法案1本だけが未成立でした。成立した法案の内、厚生労働省が提出し、病院経営に影響が有るのは先ず薬機法ですが、これは医薬品の開発の円滑化や安定供給の内容を含み、着実に医療を行う後押しとなります。年金法の改正は、基礎年金給付の底上げに関して与党でも法案提出後でも様々な議論が有りました。財源の確保は、社会保障費の大枠にも連動し得る為注視が必要ですし、事業主負担の視点からも、患者さんご自身や家族の人生設計にも影響が有ります。労働安全衛生法の改正では、職場のメンタルヘルス対策としてストレスチェックを50人未満の事業所にも義務付けた為、こうした診察の際に保健指導する内容も変わる他、自身の診療所内での対策も必要になります。又、労働施策総合推進法の改正では、カスタマーハラスメント(カスハラ)への対応が企業に義務付けられました。医師には応召義務が有る為、診察を求められれば基本的には応じざるを得ません。厚労省でもこれ迄に、勤務環境改善の観点でHP等に資料を掲載してきましたが、この法案を機に改めてご確認下さい。

成立しなかった医療法改正案には、地域医療構想の見直しや医師偏在対策、医療DXの推進といった内容が盛り込まれています。当初のスケジュールに影響が無い様、今後の臨時国会等での法案成立や、現行法内で対応出来る内容の作業等、準備を進めていきます。

■国民の肌感覚に合った規制改革を

我が国では1948年に、戦後の劣悪な医療環境の中でも医療機関の最低限の質は担保しようと医療法が制定されました。施設構造や人員配置の基準はその頃からの政策です。その後、戦後復興や高度経済成長により財政が豊かになる中で、国民皆保険や老人医療費の無料化といった政策が打ち出されました。

これにより、国民の医療アクセスは劇的に良くなり、医療の需要が急増します。これに応じるべく、医師を増やす為の所謂「一県一医大構想」が実行され、日本全体で医師が一定の充足を見たのは85年頃です。そこからは、量の増加から安定供給に政策が切り替わり、例えば医療計画による病床の事実上の制限が、医療法の役割になりました。更には病床数のみならず、機能の分化や役割分担に着目した安定供給の役割が医療に加わっていきます。特定機能病院や療養病床等の設置、介護保険との棲み分けは役割分担の明確化の具体例です。

そして14年に医療介護一括法が成立しました。この法案のキックオフは、消費税が8%になった日であり、社会保障と税の一体改革という政策を象徴しています。この法改正で、先述の調整のメカニズムが更に医療法に加わりました。しかし調整には時間が掛かります。ここで注視が必要なのが、医学部の定員です。近年は減少しつつあるとは言え、それでも今年は9千人余りが入学しています。今後、患者数が減少していく中で、彼らが医師として働き続ける間、医療制度をどういう形で持続可能にするのかは大きなテーマです。

続いて「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)と「新しい資本主義のグランドデザイン」についてです。厚労省関連では、賃上げを最優先課題とし、その次が労働力減少に備えたDXによる生産性の向上です。これは医療機関に限らず、社会全体を対象としています。防災体制の強化や、「誰一人取り残されない社会」の実現も盛り込まれました。更に「持続可能な経済社会の実現」では、全世代型社会保障の構築や中長期的な介護提供体制の確保等の方針が掲げられています。両文書は方向性が近いものの、「グランドデザイン」は改革等に向けてアクセルを踏む内容が比較的多く、具体的な政策が業種毎に纏められているのが特徴です。医療や介護では医療介護の公定価格の引き上げ、DXの推進等による業務効率化と賃上げの連動も挙げられています。科学技術イノベーションの推進によって「稼げる国」になる事も重要で、バイオ医薬品や再生・細胞医療、遺伝子治療等の研究開発促進という目標を掲げ、全ゲノム解析等の事業実施組織の今年度中の設立の他、全ゲノムデータ、マルチオミックスデータ、臨床情報等を搭載した質の高い情報基盤の構築を行う等としています。

勿論、規制改革を進める事自体は良い事です。しかし、規制改革を進める事で失われるものも有り、そのバランスが大切です。規制改革に沿って対応した結果、医療の現場で訴訟リスクを負い、刑事責任さえ問われ兼ねないという事になれば、改革の成果が国民に届き難いという事態にもなり得る為、改革を現実的に進めていく事が重要です。この為、どの様にして国民とコミュニケーションを図りつつ相互理解を進めていくのかが重要ですが、難しい課題でもあります。今後はAI等の新たな技術の活用が不可欠ですので、皆さんの肌感覚に合った政策にする為、広く意見交換や議論をしていきたいと考えています。

 

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