現在、セクシャルハラスメントやパワーハラスメントは、一般企業だけでなく、医療機関にとっても最重要のコンプライアンス問題になっている。しかし、こうした問題への認識はまだ十分ではなく、歴史が浅いこともあって、適切に対処できているとはいえない。医療界にはセクハラ・パワハラ問題に対する戸惑いがあるようだが、その対処法にはかつて医療界を揺るがした患者・家族によるクレーム問題の対処法と共通する部分があるという。9月25日の勉強会では、小誌に「経営に活かす法律の知恵袋」を連載中の井上法律事務所所長・井上清成弁護士を迎え、医療現場におけるセクハラやパワハラへの対応について講演をお願いした。
尾尻佳津典・「日本の医療の未来を考える会」代表(集中出版代表)「私は平成時代の3大黒船は、国際会計基準、セクハラ・パワハラ、コンプライアンスと考えています。この3つは日本の経済の根本を大きく変えました。その中で最もやっかいなのが、セクハラとパワハラで、医療機関では企業よりかなり難しい対応が求められています」
三ッ林裕巳・「日本の医療の未来を考える会」国会議員団(自民党衆議院議員)「今後の日本の医療には課題があります。地域医療構想をしっかり作る必要があるし、医師の働き方改革は地域医療を疲弊させない形で進めていかなければなりません。この会が日本の医療の将来に資することを期待しています」
病院におけるハラスメントの課題と対応
—法的観点を踏まえた医療現場対応のポイント解説—
■クレーマーへの対処方法が役立つ
最近の半年くらいの傾向ですが、私の事務所にくる相談は圧倒的にハラスメント関係が多くなっています。20年くらい前、モンスターペイシェントという言葉が生まれ、患者・家族からのクレームが大きな問題となったことがあります。これは現在でも続いているのですが、それほど問題にならなくなってきました。モンスターの方が変わったのではなく、10年20年とたつうちに医療界の対応がこなれてきて、上手に対応することができ、何とかなっているという状況なのです。
では、ハラスメント問題には、どのように対応していけばよいのでしょうか。実は、患者・家族のクレーム問題への対応法がとても参考になります。そこで、まず医療過誤に関するクレームへの対応について解説しておくことにします。方法は2つあります。1つは調停を利用する方法。もう1つは院内の委員会を利用する方法です。
医療過誤に関するクレームは、できるだけ水面下で静かに解決していきたいものです。そのために調停を使います。夫婦間のトラブルでは裁判所に「夫婦関係調整調停」を起こしますが、これには円満に調整する場合と、離婚する形で調整する場合とがあります。双方に代理人が付き、家庭裁判所の調停員を介して話し合うことになります。
私は、この調停を医療過誤のクレーム対応に使うことを考え出しました。患者・家族との関係を円満にしたいとして、「診療関係調整調停」を起こすことにしたのです。クレーマーは調停に出ることを嫌がります。なぜなら調停は公式の場であって、表の世界だからです。クレーマーは非公式なところに侵入したいと思っているので、裁判所の調停に引きずり出せば、半分は成功したようなものです。診療で当病院には来ない、これで全てを終わりにする、外に向かって言わない、といった形で解決していきます。
もう1つは、病院内の委員会を利用する方法です。既にある委員会を活用したり、必要があれば新たに委員会を作ったりして、院内の統一見解を出していきます。この方法も効果的です。
この2つの方法を使って、医療過誤によるクレームに対処してきましたが、実際にいろいろな案件を処理することができました。この方法はハラスメント問題に対しても有効です。特にパワハラに関しては、同じように扱うことができます。
■セクハラとパワハラ
セクハラとパワハラは、ハラスメントであることは共通していますが、同じように対応できるわけではありません。まず、どのような行為がセクハラやパワハラになるのか、ということを理解しておく必要があります。
セクハラについては、「強制わいせつ罪」の刑法上の概念について説明しておくのが分かりやすいでしょう。かつて強制わいせつ罪の成立には、犯人の性欲を興奮させたり満足させたりする性的意図が必要とされていました。いやらしい気持ちを持ってその行為に及んだのでなければ、強制わいせつ罪にはならなかったのです。ところが2017年に判例変更があり、犯人に性欲を興奮させたり満足させたりする性的意図がなくても、強制わいせつ罪は成立することになりました。専ら被害者の視点に立ち、その行為が性的屈辱であるとか、人格の侵害であるということになれば、それによって強制わいせつ罪が成立することになったのです。
この判例変更は、セクハラの概念を理解する上で重要です。加害側がいやらしい気持ちを持っていようがいまいが、被害側が性的な被害感情を持つ場合には、セクハラとなります。「いや、そういうつもりではなかった」では済みません。セクハラの概念は非常に分かりやすいといえます。
パワーハラスメントは、職務上の地位や権限、または職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、人格と尊厳を侵害する行動を行い、精神的・肉体的に苦痛を与えたり、職場環境を悪化させたりすること、とされています。
例えば、上司が部下に「バカヤロー!」と怒鳴ったとします。上司が利口な部下にこう言った場合には、名誉毀損的な表現だからパワハラになります。問題は馬鹿な部下に対して怒鳴った場合です。「バカヤロー!」と怒鳴る行為に、教育的効果があったり、指揮監督効果があったりする場合には、TPOによっては許されます。どうもたるんでいるという場合なら、「バカヤロー!」と怒鳴ることがそれなりに有効な場合があるからです。もっと優しく言ってもいいのではないか、というような微妙な争いになる可能性はありますが、職場や仕事の性質によっては、パワハラにならないこともあるのです。
パワハラで大切なのは、業務の適正な範囲を超えていること。何が「業務の適正な範囲」かは、それぞれの職場で異なるので、それぞれのTPOで適正かどうかを判断することになります。このように、パワハラになるかどうかは、セクハラのように絶対的なものではなく、相対的なものなのです。
■モンスタードクターに対処する
最近、モンスタードクターという言葉が使われることがあります。医師がモンスター化してしまい、管理者がそれをうまくコントロールできなくなるようなケースがあるのです。ドクターに限らず、モンスターナース、モンスタースタッフの場合もあるかもしれません。このような場合、どのように対処したらいいのでしょうか。
モンスター化したドクターは、自分の好き勝手なことをやるようになり、そこにセクハラやパワハラが入り込むこともあります。また、こういう仕事をやらせろと主張し、他のスタッフと連携を守らない、といった状況になります。周囲が何とかしようと接触を持とうとすると、パワハラされていると騒いだりします。そういったことから、病院内の誰もが手出ししなくなり、そのためにモンスターはどんどん巨大化してしまうのです。
モンスタードクターは早急に駆逐しなければいけません。しかし、普通の労働問題として扱ったのでは、解雇することはできませんし、重い懲戒処分にすることもできません、ということで終わってしまいます。モンスタードクターに対しては、モンスターペイシェントに対応する場合と同じ方法を使えばいいのです。
1つは裁判所の調停を使うことが勧められます。やはり、調停という公式の場に引きずり出すことが重要なのです。その場合、労働問題を専門としているようなところではなく、一般調停を使うのが効果的です。もう1つ勧められるのは、院内の委員会を利用することです。病院の経営側がモンスタードクターに対応する場合には、院内にいろいろな委員会を作り、委員会として公式見解を出していくようにするとよいでしょう。
質疑応答
尾尻「弱者救済ということで、医療機関は常に叩かれる側にいるわけですが、こういった風潮はこれからも続くのでしょうか」
井上「病院が叩かれなくなるとしたら、それは一般の人から見て、もう病院はボロボロでもたないね、という状況になった時でしょう。そうなれば、もうこれ以上責めてはいけないね、ということになると思います。そうなってほしくはありません。一般の人から見れば病院は強者ですから、それなりに懐深く対応していくということを、苦労しながらでも続けていかなければならないでしょう。叩かれなくなるよりはいいと思います」
土屋了介・ときわ会グル−プ顧問「私がかつて病院長を務めていた時、モンスター外科医がいて、トレーニングドクターを蹴飛ばしたり、看護師達のいる前で罵倒したりするといったことが行われていました。当然、委員会にかけるようにしました。若い医師が訴え、委員会が始まりますが、そのうち訴えた側が、もういいですと言い出します。最終的に委員会はパワハラを認定するけれど、処分はしないでください、ということで終わってしまう。そんなことが3回もくり返されました。普通の企業なら職場を変えることができますが、外科医ですと1つの科に4〜5人しかいませんし、専門性が高いので他の科に移すこともできません。私は病院長として、その医師の職場を外来だけにするという処置をとりました。その場は収まったのですが、しばらくしてから、弁護士の連名で、このような処置をした病院長がパワハラだと言ってきました。たまたま私は病院長の任期が終了したので、その問題は次の病院長に引き継いでいただきました。このようなモンスタードクターの問題では、パワハラを認定した委員会が処分までしてくれると、病院長としてはやりやすいのですが、訴えた人がいいと言うならいいということだと、病院長としてできることは限られてしまいます。若い医師を守るためにも、何とかすべきだと思いますが」
井上「質問に対する十分な答えにはなっていないかもしれませんが、2つの話をします。モンスタードクターの問題が生じたような場合、病院の顧問弁護士である私は、病院長から特命を受けることがあります。そのような時、私は非公式にその医師を呼んで、非公式に諭します。あなたが行っているこのような行為は今時はパワハラになります。今日は非公式な話ですが、これ以上続いたら、どのようになるかはお分かりですね、といった話をするのです。こういうことは、医師同士だとやりにくいところがありますが、私のような者が行くと、医師が言い返しても暖簾に腕押しで、喧嘩になりません。こういうのも1つの手だと思います。もう1つ、職場を変えるのに委員会を利用することもできます。例えば医師の働き方改革推進委員会という委員会があったとすると、働き方改革には仕事の質を変える必要がありますから、職場の配置転換なども無理なく行えます。この病院のために、このように変えたらいいという前向きの改善案として配置転換を提案し、その一環としてモンスタードクターにはこちらに移ってもらうという公式見解を出すのです。配置転換にも、このように委員会を利用することができます」
加納宣康・沖縄徳洲会千葉徳洲会病院名誉院長「私の外科医としての教育方針は、24時間365日が修行で休みがあったら損と思え、というものでした。この方針に従えない奴は入門してくるなと、病院のホームページにも書いていたし、論文にも書いたことがあります。何年もたってから、これはパワハラだと言われたりすることはありますか」
井上「そういう方針だと分かって入門した人達で、その厳しさに納得しているのであれば、それはパワハラにはなりません。ただ、そう考えて入門したけれど、とてもついていけないとブレが出てきた人に、追い掛けてまで言ってしまうと、それはパワハラになります。ただ、先生がこれまで厳しくやってもパワハラで問題になっていないのであれば、そこにはきっと何かノウハウがあるのでしょう。それを参考にしようと、題材として使われる可能性があるのではないでしょうか」
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