日本の医療の未来を考える会

第72回 医療現場でのメンタルヘルスケア
環境の整備に公認心理師の活用を
(早稲田大学人間科学学術院 人間科学部 教授)

第72回 医療現場でのメンタルヘルスケア環境の整備に公認心理師の活用を(早稲田大学人間科学学術院 人間科学部 教授)
2024年から医師の働き方改革が始まるが、「人の健康や命に関わる仕事に、画一的な労働時間規制はそぐわない」という反対意見も多い。一方、コロナ禍で医師を始めとする医療スタッフの過酷な労働が課題となったのも事実だ。過労による精神疾患から自殺する医師も決して少なくない。医療職の精神疾患を防ぐには、どの様にケアをして行けば良いのか、心療内科医で一般社団法人日本認知・行動療法学会副理事長の熊野宏昭・早稲田大学人間科学学術院人間科学部教授に講演して頂いた。

原田 義昭氏「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)ロシアのウクライナ侵攻が終結しない中、イスラエルでも戦闘が起きています。大変痛ましい事態で、日本人も国際平和に貢献する為、力を合わせて行かなければなりません。臨時国会の論戦が始まりましたが、国内の経済対策と合わせ、活発な議論で役割を果たして頂きたい。今回のテーマのメンタルヘルスケアですが、自殺という痛ましい事案を減らして行くには、医療の観点からの対策も重要です。医療に携わる皆様を中心に取り組んで頂きたいと思います。

東 国幹氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(衆議院議員)来年で議員生活が30年目になりますが、雑誌で悪く書かれたり、選挙が近付いて来たりすると精神的に不安定になる事も有ります。20代の頃は自分でも精神的に弱いと自覚する事も有りましたが、年齢を重ねると鈍感力も身に付いて、それに助けられる事も増えました。只、私の妻は未だ慣れていない様で、精神的に不安定になる事が有り、週末に北海道の地元に帰った時は妻の精神的なケアにも努めています。メンタルヘルスケアについて学びたいと思っています。

和田 政宗氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(参議院議員)令和4年5月、自民党の政務調査会で、経済対策の原案が示されましたが、診療報酬の引き下げに繋がり兼ねない内容でした。財務省や厚生労働省の官僚は子育て関連予算財源がかなり厳しいと言っていますが、医療福祉に対する財源を削減して財源を確保するのはおかしい。私は元々、「子供国債」発行論者ですので医療・福祉分野の予算削減には反対して参ります。皆様も国や政治家に対して声を上げて頂き、診療報酬の引き下げが行われない様ご協力をお願い致します。

尾尻 佳津典「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)12年に慶應義塾大学が厚労省の研究で、精神疾患の社会的コストに関する調査報告を行いました。その報告書を読むと、精神疾患による社会の損失額が年間8兆2500億円に上るとの試算が有り、大変驚かされます。又、患者が自分の精神疾患に気付かず、医療を受けない事が問題だとも指摘されています。15年に厚労省は企業にストレスチェック制度の導入を義務付けましたが、これは素晴らしい事でした。しかし、日本では若者の死因のトップが自殺だという状況が続いています。

講演採録

■燃え尽き症候群が多い医療職

企業等が定期的に労働者のストレスの状況を検査するストレスチェック制度が、15年に義務付けられました。素晴らしい制度ですが、残念ながら制度を完成させるには、未だ足りない部分が有る。現在、ストレスチェックの結果は本人に通知されますが、どうすれば良いのかというフォローやケアは本人任せになっています。そうしたフォローやケアをビジネスにする会社も生まれているのですが、軌道に乗っているとは言い難い。又、働き方改革については、医療関係者は「我々の働き方改革が一番遅れている」と自覚していると思います。今日は、働き方改革が進まない理由や、ストレスチェックを有効に機能させる為に必要な事について話して行きます。

医療職の大きな特徴の1つは、感情労働だという事です。他の客商売と同様に、自分の感情を抑えながら患者の訴えを聞かなくてはならない。しかし、ただ笑顔で接していれば良いのではなく、人の命を預かっている以上、厳しい事を言わなければならない事も有る。私の専門である心療内科や精神科でも、「死にたい」という患者を本気で止めなければならない事が有ります。

又、医師には「医療者たるもの自分を犠牲にしてでも働く」という責任感が強く、能力も高い。こうした矜持が有るからこそ、頑張りが利きます。逆にボロボロになる迄我慢してしまう面も有ります。更に病院では医師も看護師も交代勤務で24時間、患者に対応しなければならず、当直勤務も有る。しかし、50代を過ぎると当直勤務は体力的に堪えます。この為、医師は燃え尽き症候群になる危険性が高く、医療関係者自身のストレスマネジメント、メンタルヘルスケアは欠かせないのですが、現実には殆ど行われていません。適応障害や鬱病で休まざるを得ない人も少なくない。

ストレスマネジメントには組織ですべき事と、各自で取り組むべき事の両方が有りますが、組織側に求められるのは、相談相手を用意する事です。1人で悩んだり、問題を抱えてしまったりした時に必要なのは、「こうすれば良い」「これで上手く行く」等とアドバイスするのではなく、最後まで話を聞いてくれ、共感してくれる相談相手です。

共感とは、話を聞いて相手の気持ちが分かったら、「君は今こういう気持ちなんだね」と自分が理解出来た相手の気持ちをフィードバックする事です。相手が泣きたい気持ちになっていると思ったら、「もう投げ出したい、泣きたいって気持ちなんだよな」と言ってあげる。これが共感です。

更に「ヴァリデーション」も必要です。ヴァリデーションとは、正当化、承認という意味です。もし相手が「もう俺ダメです。もう死にたくなって」等と言ったら、「こんな状況で、投げ出したくなるのは当たり前だよな」と相手の気持ちを認めてやる。こんな風に言うと「そうですよね。だからもう辞めます」と言うのではないかと心配する人も居るのですが、実は「でも、何とかします」と立ち直る事が多い。実際、東日本大震災の時には、被災地の人の立ち直りにヴァリデーションが効果的でした。

こうした対応は管理職だけでは難しく、心療内科や精神科の医師も忙しい。そこで公認心理師の活用を検討して頂きたいと思います。

■公認心理師をメンタルヘルスケアの責任者に

17年に公認心理師という国家資格が出来ました。「保険医療や福祉、教育その他の分野に於いて心理学に関する専門的知識及び技術を持って、心理相談や助言、指導等に当たる」というのが役割です。国家試験は18年に開始され、今年度で7回目です。未だ新しい資格の為、最初は医師や看護師がメンタルヘルスの責任者を務めた方が良いかも知れませんが、何れは公認心理師にメンタルヘルス対策を任せて欲しい。働き方改革もメンタルヘルスの面からの取り組みが必要です。

メンタルヘルスケアでは、ストレスのセルフケアが大切です。ストレスが溜まると、頭痛がしたり落ち込んだり、イライラしたりといったストレス反応が起こりますが、それによってストレスが自然に解消される面も有ります。只、借金と同じ様なもので、溜め過ぎると処理し切れなくなり、心と体が壊れてしまいます。

ストレスとは心や体の歪みです。ゴムボールに力を加えて歪ませた状態をイメージして下さい。その歪みの原因が「ストレッサー」で、歪みが限度を超えると、ボールは破裂してしまいます。

そうならない為には、ストレッサーを減らす為に無理をしない様にするか、ストレスを発散しようとするのが普通だと思いますが、それだけでは直ぐに限界が来ます。しかし、同じ様な状況でも、タフな人と直ぐに調子を崩してしまう人がいる様に、ストレスへの抵抗力には個人差が有る訳です。ストレスへの抵抗力は、体質面、心理面、毎日の生活習慣の3つの面から考えられますが、このそれぞれに働き掛けるのが、ストレスマネジメントと言われる方法です。

3つの面の改善にはそれぞれキーワードが有り、体質の改善は「力まず」、習慣の改善は「避けず」、心の改善は「妄想せず」です。ストレスが溜まって来ると体が硬くなってしまうので「力まず」。生活習慣では、人はどうしても苦手な事を避けてしまうので、苦手な事を先送りにせず、気掛かりな事を減らす様にする。これが「避けず」。そして、心の使い方として、自分の考えを現実と取り違えない様にする。例えば、「自分は最低な人間だ」と思ってしまうと、最低な自分の姿をイメージしてしまう。すると、どんどん現実とは掛け離れた妄想が膨らみ、自分自身を苦しめてしまいます。考えているだけの事と現実の違いに気付く事が出来ればストレスも随分低減出来る。これが「妄想せず」です。

■ストレスの解消法を知る事が大切

ストレスで体調を崩す場合、心理的なストレスが原因となる事が多いのですが、それが体に出易い人と、心に出易い人が居る。体には頭痛や胃痛、下痢等の症状が現れますし、心では不安や落ち込み、怒りが強くなったり、焦ったりします。ストレスの症状がどちらに出ているのかを考えて、対策を取る事も必要です。

体の症状には、体の力みを取る「リラクセーション」という方法が有効です。単にリラックスするというよりも、さらに深く緩んだ状態を作り出します。こうした状態を20分程続けると、体の基礎代謝が10%以上下がるというデータも有ります。一晩寝ても基礎代謝は8%程度しか下がらないのですが、それを20分程で実現出来るのがリラクセーションです。これを毎日行う事が大切で、ストレスが借金であるとすれば、リラクセーションは貯金です。短時間でも、毎日実践する事で効果が溜まり、ストレスに強くなって行きます。

ここで、リラクセーションの状態を作る練習を紹介します。力を抜いて椅子に座り軽く目を閉じ、太腿の上に手を置いて、手の平の温かさを感じてみて下さい。そして、頭の中で「気持ちが落ち着いて手の平が温かいなあ」と呟きます。その温かさが肘まで広がるイメージを持ち、「肘まで温かいなあ」と呟いたら、次に温かさが両肩まで広がるイメージを持ちます。腕全体が温かくなったら、今度は足湯をイメージして下半身の温かみを感じます。その間、「やらなければいけない仕事が有る」等と雑念が浮かぶかもしれませんが、「今は、それはちょっと置いておいて」と温かみを感じる事に気持ちを戻します。これを5〜10分ほど行ったら、目を開けて背筋を伸ばし、両肘を屈伸する等して目を覚まします。最初は、あまり温かさを感じられないかも知れませんが、何度も繰り返す内に感覚が掴めて来る筈です。

次に、妄想せずに、有るが儘の自分を認識する「マインドフルネス」という方法を紹介します。私達は頭の中で色々な事を考える事で、有るが儘の現実を感じる力が落ちてしまいます。そこで五感を通じて現実を感じ取るのが「マインドフルネス」です。

日常生活で実践する場合は、ウォーキングが適しています。音楽を聴いたり、考え事をしたりせず、足の裏の地面や吹いて来る風の感覚等、目や耳から入って来る情報を全て感じながら歩くと、自分の考えや感情に囚われずに現実を受け止められます。或いは「3ステップ・ミニ瞑想」という方法も有ります。

先ずは椅子に座って背筋を伸ばし軽く目を閉じた後、頭の中の考えや体の中で力が入っている部分等を感じて、今の自分の体や心の状態に意識を向けます。次に自分の呼吸に意識を向け、腹や胸、鼻等、自然な呼吸をはっきりと感じられる場所に意識を集中します。最後に、呼吸による体全体の動きを感じ、空気の流れ等も意識して呼吸を続ける。それをしばらく続けた後、静かに目を開けて外の世界に戻ります。

又、自分にも他人にも優しくする気持ちの事を「コンパッション」と言いますが、コンパッションを高めて、燃え尽きるのを防ぐ「GRACE」というプログラムも有ります。先ずは、1つの事に注意を集め、自分の行動の意図を思い出します。我々医療関係者であれば、「何故この様な仕事をしているのか」といった事です。「国民の健康を維持する事が自分の使命だと思っているから」等と自分の意図を思い起こす事は重要です。そして、先ずは自分、次に相手に意識を向け、何が役に立つのかをよく考え、最後に行動を起こし、やり切る。こうした訓練を続けて行くと、燃え尽きを防ぐ事に繋がります。

質疑応答

尾尻 会社勤めをしていた当時のストレス対策の研修は、「兎に角、心を強く持て」というもので隔世の感が有ります。又、ストレスチェックや産業医の受診内容が会社側に漏れる事は無いのでしょうか。

熊野 研究も進歩していますので、対策で強調される部分は変わって来ます。しかし、「心を強く持て」と言う事が悪い訳ではなく、様々な手法を組み合わせて対応する事が大切です。ストレスチェックに関しては、個人情報が保護される様に制度設計されています。只、産業医についてはその辺りが曖昧で、社員も受診し難かった。社員が受診し易くなる様、外部の会社に委託するというやり方も有ります。

野村恭子・国立大学法人秋田大学大学院医学系研究科教授 私もメンタルヘルスケアの産業医として、体温を感じる自律訓練法を取り入れています。体に不調が出易い人はリラクセーションで、心が敏感な人はマインドフルネスが良いとの説明でしたが、自律訓練法は、どちらに当て嵌まるのでしょうか。

熊野 自律訓練法は、リラクセーションとして考えていいでしょう。しかし、自分の今の状態に気付くという面を重視すれば、マインドフルネスの練習にもなります。マインドフルネスが役に立つのは、過去の事をあれこれ考え過ぎて悩んだり不安になったりする人です。それに対して、ストレスで体調が優れない人にはリラクセーションの方が効果的だと思います。

武藤恵美子・ゆうゆう診療所内科・在宅医療部医師 精神疾患患者に対する認知行動療法の使い方と、公認心理師の活用方法を教えて下さい。

熊野 統合失調症や双極性障害の場合は薬物療法が優先すると思います。鬱病も日本では薬物療法から進めるのが一般的ですが、患者が薬に抵抗感を抱いている場合や、鬱病まで至っていない適応障害、不安症の患者には認知行動療法を選択肢として示した方が良いと思います。公認心理師は、認知行動療法の専門家として支援の選択肢を増やす効果が期待出来ます。

宮本隆司・社会福祉法人児玉新生会児玉経堂病院院長 年間、何人位の公認心理師が合格しているのでしょうか。又、従業員が気軽に相談出来る相手として、企業には臨床心理士や公認心理師の配置を義務付けるべきだと思います。

熊野 これ迄年間1万人位が公認心理師の国家試験に合格し、現在7万人位です。今後は主に大学・大学院で6年間の教育を受けた人達が対象になる為、合格者はもっと少なくなります。臨床心理士と公認心理師が学ぶ内容に殆ど差は無いのですが、公認心理師は医学・医療の知識をより多く学んでいます。従業員が相談し易い環境を整える為に公認心理師を積極的に活用して頂きたいと思います。会社の窓口に相談すると、話の内容が漏れるのではないかと心配する従業員も居るので、外部のカウンセリングサービス会社等を活用する方法も有ります。

植田宏幸・社会医療法人財団石心会川崎幸病院事務部長 メンタルヘルスのケアが必要なスタッフが居ても、産業医が精神科医ではなく、衛生管理者の負荷も大きいのが現状です。公認心理師の配置も含め、どの様な体制を築くのかが課題となっています。

熊野 公認心理師の活用が進まない大きな原因は診療報酬です。公認心理師が行う事に対し診療報酬が未だ少ない為、中々経営的にペイしない。今後は報酬の見直しが行われ、改善が進んで行くでしょう。又、医療サービスという点では、メンタルクリニックでは20年ほど前から、臨床心理士が居た方が患者が増えるという傾向が有ります。カウンセリングや認知行動療法を受けたいという患者が増え、臨床心理士・公認心理師が居るクリニックを選ぶ様になって来ました。そうしたメリットも考えて体制を検討して頂きたいと思います。

叶谷由佳・公立大学法人横浜市立大学医学研究科教授メンタルケア以外にも、ダイバーシティやバリアフリー等の問題にも公認心理師は対応出来るのでしょうか。又、実際に公認心理師を活用する場合、どの様に募集すればいいのでしょうか。

熊野 公認心理師による支援は、個人の行動や思考のパターンに対して行います。ケースに合わせて必要な情報を提供し、解決策を個別に伝えながら支援の入り口にして行きますので、ダイバーシティ等の相談窓口としても有効です。又、公認心理師の採用は未だ少ないのが実情の為、ホームページ等で募集すると、多くの応募者が集まると思います。

舩津到・医療法人社団三医会鶴川記念病院理事長 臨床心理士にメンタルヘルスケアを任せて来たのですが、これ迄のところ、職場環境を変える提案が少なかった気がします。又、職場での世代の違いによるトラブルが起こる事が有るのですが、そうした問題の解決も公認心理師に任せていいのでしょうか。

熊野 公認心理師は知識の蓄積もセンスも有るのですが、新しい職なので経験に乏しい面も有ります。ですから、メンタルヘルスケアや職場環境の課題解決を任せる時に、「こういう事をして欲しい」等と指示したり相談したりすれば、自分なりに考えて解決策を提示してくれると思います。最初は、様々な問題を解決する機会を与えて育てて行く姿勢も大切だと思います。

原田義昭・日本の医療の未来を考える会最高顧問 日本では若者の自殺が多い。政治家はどの様に対策に取り組めばいいでしょうか。

熊野 嘗て日本では、年間約3万人の自殺者がいましたが、この10年で2万人位に減りました。今後も自殺対策を続けて頂きたい。若者の中には夢が持てない人が多い。やる気や夢を持つ若者の力を活用する仕組みを作って頂けたらと思います。又、奨学金を受けている学生の中には経済的に苦しくなって来ている人も多い。奨学金を受けている学生への支援も必要です。

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