日本の医療の未来を考える会

第70回 長きに亘る国民の安寧を願う祈り 皇室を支える医療体制と健康管理
(一般社団法人国際文化教育協会理事長 竹元正美氏)

第70回 長きに亘る国民の安寧を願う祈り 皇室を支える医療体制と健康管理(一般社団法人国際文化教育協会理事長 竹元正美氏)
千年以上続く日本の皇室を、今後どの様に存続させて行くのかという議論はこれ迄幾度となく繰り返されて来たが、未だに結論は出ていない。その間にも皇位継承権を有する皇族は減り、現在は秋篠宮様を始めとするお三方しかおられない。天皇陛下の次の世代を考えると、秋篠宮様のご長男、悠仁様のみというのが現状だ。私達が普段あまり知る機会の無い皇族の皆様のお姿や皇室改革の議論のポイント等について元外交官で宮内庁東宮侍従も務めた、一般社団法人国際文化教育協会理事長、竹元正美氏に講演して頂いた。

原田 義昭氏「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)私も海外に出掛けたり、海外の方とお会いしたりした時に、日本に皇室が有る事の大切さを感じる事が有ります。その有難みを口に出す人、あえて口に出さない人も居ますが、日本に皇室が有る事に感謝し、誇りに感じている人は多いのではないでしょうか。日本は皇室が有ったからこそ、長い歴史の中で国が完全に分裂する事が無く、これ迄国の形を保って来ました。それは皇室が日本人と根っこの部分で繋がっていたからではないかと思います。

古川 元久氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(衆議院議員)もし我が国から皇室が無くなってしまったら、もう日本は日本でなくなるのではないか、と感じます。それ程、国の在り方と皇室は深く結び付いており、人間の体に例えると皇室は臍の様なものではないかと思います。我々は普段、臍の役割を深く考えてはいないけれども、先祖との繋がりを考えた時に、その大切さに気付かされます。本当に皇室の皆様は大変ご多忙でいらっしゃり、陛下を始め皇室の皆様のご公務の負担を減らす事を考えなければならないと思っています。

和田 政宗氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(参議院議員)皇室は正に国民の安寧と共に在り、陛下は国民の為に毎日祈って下さる尊い存在であると認識しております。海外に出掛けた折に、その国の王室に縁の有る政治家と会談する事も有るのですが、或る時、日本の新嘗祭の話をすると、「日本の天皇陛下は自ら労働するのか」と驚かれた事が有りました。私は命に代えてでも皇室の皇統一系を守りたいと心から願っています。政治家として更に力を付けて行く中で旧宮家の男系男子の皇籍復帰を必ず成し遂げたいと思っています。

尾尻 佳津典「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)海外の知人や友人からよく「日本の皇室は海外から高い尊敬を得ている」と聞かされます。又、米国の或る大学教授からは昨今の国内情勢を憂いて「米国の不幸は皇室を持てなかった事だ」と嘆くメールが届きました。この様に言われる度、皇室の素晴らしさを再認識します。最近は「報道の自由」の名の下、多くの批判的な記事も散見されます。我々と同じ様に反論出来る訳ではないお立場を思うと、相当なストレスを受けられているのではないかと心が痛みます。

講演採録

■国民の安寧と幸せを祈られる天皇陛下

皇室は現在17名、天皇陛下・上皇陛下に加え、男性3名・女性12名で構成されております。この内、次世代の皇族の方は天皇陛下の御長女の愛子様と秋篠宮様の次女の佳子様、悠仁様のお三方であり、男性は悠仁様お1人です。皇室の皆様の平均年齢は58.9歳となり、ここでも少子高齢化が進んでいます。

皇室の特徴について、いくつか紹介します。先ず皇室の皆様が公平な感覚をお持ちだという事です。

私が外務省に入った頃、同期の皆と共に、当時は皇太子でいらした現在の上皇様から、東宮御所に招かれた事が有ります。その時、「車だと黒塗りは高級車なのに、人間の皮膚の黒い人は何故差別されるんでしょうね」と仰り、「公平な考えをお持ちの方だ」と思った事を鮮明に覚えています。

又、東日本大震災の後、東京都で計画停電が実施された時の事ですが、千代田区や中央区等を始め23区内の殆どは対象外となりました。同じ東京都民なのに不公平だと怒っていた人もいましたが、やはり不公平だと感じられたのが現在の上皇様で、自主停電をされました。まだ寒い時期で、周囲が「寒くないでしょうか」と申し上げても「セーターを1枚余計に羽織ればいい」と仰いました。

上皇様は一般参賀等でお言葉を述べられる時、最後に、日本国民の幸せだけでなく、「我が国と世界の人々の幸せを祈ります」と述べられます。これも上皇様の公平な考え方を示すものだと思います。

次に「お慎み」も特徴です。基本的に贅沢はなされません。明治天皇は「庶民に出来ない様な事を自分がする訳には行かない」と言われて、明治6年の避暑を除き転地保養をされませんでした。昭和天皇も関東大震災後に、「国民が玄米食を食べているなら、自分もそうしよう」と仰り、戦後の食糧難の時にも「私のパンだけが白いのは困る。国民の配給と同じにして欲しい」と仰ったというエピソードが残っています。又、お住まいの宮殿が空襲で焼失し、御文庫と呼ばれる防空施設にお住まいでした。戦後、御所を新築する事についても「戦災に遭った国民がまだきちんとした所に住めていない」と仰ってお許しにならなかった。昭和天皇が御文庫を出られたのは、1961(昭和36)年に吹上御所が完成した後でした。

「質素」も特徴の1つです。私が東宮侍従を務めていた頃ですが、当時皇太子でいらした現在の上皇様と、今の天皇陛下の浩宮様が一緒に岩手県にスキーに出掛けられた事が有ります。その時に宿泊されたのが学習院大学の寮でした。山の中の雪に囲まれた古い建物でしたが、そこにお泊まりになって、近所の御婦人方に作って頂いたカレーライス等を召し上がりました。

最も大きな特徴は「祈り」でしょう。皇居には宮中三殿という祭祀を行う場所が在り、賢所では天照大御神を祀っています。皇霊殿では歴代天皇と皇族の御霊を祀り、神殿では国中の神々を祀っています。その隣に神嘉殿が在り、四方拝や新嘗祭等、重要な祭祀が行われ、天皇陛下は常に国民の安寧と幸せを祈っておられます。祭祀は1月1日の朝5時半の四方拝から始まり、12月31日の大祓まで年間数十件行われます。中でも11月23日の新嘗祭は最も重要な祭祀で、天皇陛下が神嘉殿で新穀を神々に供えて、神恩に感謝された後、陛下自ら新穀を召し上がります。これは、夕方の「夕(よい)の儀」と深夜の「暁の儀」の2回、それぞれ2時間に亘って行われ、国会、内閣、最高裁判所の代表も参列します。

皇室の御公務について説明しますと、最も重要なのは国事行為です。憲法で規定されている行事でして、多くは宮殿での御名御璽です。御署名と御押印の事ですが、これが年間1000件位有ります。国会開会式への天皇陛下の御臨場も関連行事の1つです。

公的行為としては各地への行幸、国際親善等が有ります。皇室外交とも言われますが、国際親善は御公務の約4分1を占めます。その他の公的な性格を持つ行事としては被災地の慰問や慰霊が有り、私的行事として天皇陛下は稲作を、皇后様はご養蚕をされます。この他、新年や天皇誕生日の一般参賀や歌会始、園遊会等の宮中行事も有ります。

こうした御公務の中で、国際親善の御活動、所謂、皇室外交については、よく「天皇陛下の外国御訪問は大使100人分の働き」と言われるのですが、私は、これは間違いで、例え大使が1000人居ようが比較にならない程の貢献だと思っています。

国際親善としては、外国からの賓客や外交団への接遇、外国御訪問、御交際が有ります。最近の御交際としては、エリザベス女王の国葬やチャールズ国王の戴冠式が有りました。

外国への御訪問で特に申し上げたいのは、上皇・上皇后両陛下が天皇・皇后時代の2000(平成12)年5月のオランダ御訪問です。オランダはインドネシアの旧宗主国で、戦争では日本の捕虜となった人も多く、反日感情の強い国です。オランダ御訪問で両陛下は、戦没者の慰霊塔に献花し、黙祷されました。約1分間に亘り真摯に黙祷されるお姿にオランダ女王も涙を流され感謝された。そして、オランダ国民とも交流され、そうした両陛下の振る舞いやお人柄が現地で報道されると、オランダ国民の日本に対する印象が劇的に変わったと言われています。戦争で戦った両国が過去の問題を乗り越えて新たな時代を進む、これは天皇陛下の御訪問だからこそ出来た事だと思います。

■皇室の健康管理は旬を生かした食事から

皇室の皆様の健康管理について紹介致します。天皇陛下、上皇様、皇族の皆様については医療体制がしっかりしております。宮内庁の皇室医務主管をヘッドにしまして天皇陛下、上皇様、皇嗣の秋篠宮様には侍医長、侍医が付いています。侍医の先生方が毎日拝診をし、24時間体制で医療に当たります。1カ月1回位の割合で定期拝診が行われ、又、健康診断も行われると承知しております。宮内庁病院は皇居内に在り、健康診断や病気の治療を行います。私が東宮侍従を務めた頃は、東宮の侍医長と侍医がいて、侍医長が外科医で内科や呼吸器等の侍医が3人という態勢でした。侍従にも宿直が有りますから、侍医さんと一緒に宿直し、色々な事を教わりました。

食事も重要な健康管理です。食事を準備する宮内庁大膳課では、食生活から健康を意識する「食養学」に基づき、地元で取れた旬の食材を丸ごと使って調理を行います。食材の多くは御料牧場から届く有機野菜や食肉、牛乳等で、牧場ではオーガニックの飼料を使って家畜を育てています。因みに、宮内庁地下の食堂に牛乳の自動販売機が有り、その牛乳は御料牧場で絞られた牛乳です。大膳課には調理担当として、和食、洋食、和菓子、製パンの担当が在籍しています。何故か中華料理の担当者はおりません。

昭和天皇が御高齢になられた頃には侍医からカロリー制限の指示が有り、1日1800kcal、化学調味料は不使用、砂糖不使用で糖分は果物で摂取する等の指示が出されました。昭和天皇のお食事は質素で好き嫌いは無く、お酒も殆ど召し上がりませんでした。お好きな料理は鰻、天ぷら、中華、芋類だったそうです。戦後、陛下が全国を行幸された時、或る所で鰻を大層喜ばれたところ、その後何処へ行っても鰻が出されたというエピソードも残っています。

昭和天皇が記者と会見した時の話ですが、「健康の秘訣は何ですか」との質問に「柳に雪折れなし」と言って、自然のまま、あまり無理をしないと答えられた事が有ります。腹八分目で、規則正しい生活を送るという事と、昭和天皇は動植物の研究をしていらしたので、屋外の植物観察や海洋生物の採集で足腰が鍛えられ、オゾンもたっぷり吸収した事が健康に良かったとも答えられていました。

上皇様も昭和天皇と同じくお食事は質素で、散歩やテニス、スキーといったスポーツがお好きです。規則正しい生活を送り、チェロの演奏や御研究をされております。

今上陛下もジョギングや登山、テニス、スキーがお好きで、私が東宮侍従をしていた頃は、赤坂御用地の周りを2周走っておられました。

私も当時、皇太子だった陛下に誘われて、御一緒した事が有ります。ジョギングには皇宮警察の警察官数人も一緒に走るのですが、陛下は結構走るのが早く、私は付いて行くのがやっとでした。そして、2週目に入った所で、上り坂が有るのですが、そこで陛下に「竹元さん、ここで結構ですよ」と仰って頂き、ホッとした記憶が有ります。私も限界で「ここで失礼致します」と言おうとしていた矢先の事で、「人の気持ちの分かるお方だ」と感謝しました。

又、陛下はビオラをお弾きになり、御研究では水の研究に勤しんでいらっしゃいます。

■男系男子の維持が皇位継承の焦点

盛んに議論されています皇位継承問題ですが、これ迄、神武天皇以来125回皇位継承が行われたとされます。全て皇統に属する男系で、皇族の身分にある者によって継承されて来ました。この内半数近くは非嫡系、要するに側室の子供が占めます。直系ではなく傍系の継承は56回、約45%で、この中で10代8人の女性天皇がいらっしゃいました。2度即位された女性天皇がお2人いらっしゃるという事です。但し、女性天皇と言っても男系女子で、女系の天皇は1人も居ません。現在の皇族の方に当て嵌めますと、悠仁様が将来御結婚されてお子様が誕生しますと、男児であれ女児であれ男系となりますが、愛子様が一般男性と御結婚されて出産されるとそのお子様は女系という事になります。

今、「皇統断絶の危機」と言われますが、その一因が男系男子継承という事に有ります。明治の皇室典範から養子が禁止され、戦後の新しい皇室典範で非嫡出子の継承も認められなくなりました。そして1947(昭和22)年10月に11宮家51名が皇籍を離脱し、皇族の数が大きく減少しました。更に悠仁様が誕生される迄、皇室に生まれたお子様は9人連続して女児だったという事も有り、次の世代の男児が居ないという事態に陥ってしまいました。この為、当時の小泉純一郎首相が安定的な皇位継承の在り方について有識者に諮問しました。この時の議論の結論は、女性・女系天皇の容認、長子優先でして、このまま行けば次の天皇陛下は愛子様という事になっていたのですが、間も無くして悠仁様がお生まれになって、この結論は棚上げにされてしまいました。

その後、民主党政権の野田内閣の時に女性皇族に関する論点整理が行われ、女性宮家の創設と女性皇族が皇籍離脱後も皇室活動を支援する為に国家公務員として公的な立場を保持するという提案がされました。これも民主党政権が終わった為、そのままになっています。その後、上皇様が退位される事になりまして、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が国会で成立しました。この時に安定的な皇位継承や女性宮家の創設について検討を行うよう政府に求める付帯決議が行われ、有識者会議が設置されました。有識者の会議の報告書は2021(令和3)年12月に公表されましたが、皇位継承については、悠仁様の時代以降の事を議論するには機が熟していないと先送りされました。

皇族数の減少への対応としましては、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持するという事と、養子縁組によって旧皇族の男系男子を皇族にする、旧皇族の男系男子を法律によって皇族にするといった案が示されました。ですから、現状は悠仁様が天皇に即位された後、皇位継承はどうなるか、全く分からない状況です。

悠仁様が御結婚されて男児が生まれれば、男系継承が続きますが、このまま男系継承を維持していくのが難しくなった場合は、女性天皇、女系継承、養子を認めるかどうかが議論になると思われます。

質疑応答

尾尻 拝診で御病気が見つかった時には、どの様に対処されるのでしょうか。又、侍医の身分は国家公務員なのでしょうか。

竹元 拝診は基本的に侍医が朝と夜に行うと承知しております。普段はお顔を拝見して、お変わりが無いかを確認する他、血圧や脈を測ったりすると聞いております。私が侍従の頃は皆様お元気でしたのでその程度でしたが、今は上皇様、上皇后様共にお年を召されているので、もう少し詳しく検査をしているかも知れません。熱や咳、腹痛といった程度の不調であれば、侍医は薬も出せますし、怪我や感染症等といった専門の病院での治療が必要な時は侍医の判断で適切な措置が取られます。侍医の身分は国家公務員ですが、常駐ではなく交替制ですから、非番の時は病院に勤務していても、開業していても構いません。

松岡健・医療法人社団葵会医療統括局長 パリ大学に留学していた頃、日本大使館から電話が有り、留学中の三笠宮の内親王様がご病気で、診て貰えないかと頼まれた事が有ります。「大使館に医務官は居ないのですか」と尋ねると、居ないとの事でした。それで何度か内親王様を拝診したのですが、大使館に医務官は居ないのでしょうか。

竹元 医務官は世界の各大使館に何人か配属されています。パリの大使館にも居たと思うのですが、恐らくフランス語圏のアフリカ諸国等を回っていたのではないでしょうか。ワシントンの大使館もそうですが、駐在の医務官はその国にずっと居る訳でなく、中南米やアフリカ等の途上国を回って医療支援を行っています。医務官は国際協力機構(JICA)に派遣された人達や一般の在留法人の診察をする事も有り、海外にいる日本人にとって心強い存在です。

関川浩司・社会医療法人財団石心会第二川崎幸クリニック院長 皇室の皆様も定期的な健康診断を受けられているとの事ですが、これは成人病を中心とした健康診断なのでしょうか。がん検診を含む内視鏡検査等も必要ではないかと思います。

竹元 健康診断では、宮内庁病院でレントゲン撮影やCT撮影、血液検査等、様々な検査を行っていると思います。上皇様は2003(平成15)年に前立腺がんの手術を受けられていますが、血液検査のPSAで、疑わしい数値が続いた為、生検を受けてがんが見つかりました。天皇陛下も昨年、前立腺の検査を受けられましたが、上皇様の事が有ったので、気を付けておられたのだと思います。

土屋了介・公益財団法人ときわ会顧問 昭和天皇は沖縄と中国へのご訪問を切望されていたとお聞きしています。昭和天皇の御病気は慢性膵炎と公表されましたが、実際には十二指腸乳頭部の腺がんでした。当時は、がんの告知は殆どされない時代でしたが、告知を受けていれば、最後に沖縄ご訪問を決断されていたのではないか、と勝手に想像しております。

竹元 昭和天皇は沖縄を訪れたいという強い希望をお持ちだったと思います。只、あの時は2年程前から体調を崩され、那須御用邸で静養されていました。そして、亡くなられる前年の9月19日に吐血され、その後は病室での生活でした。とてもご訪問は無理な状態だったと思います。大変残念な事でした。

原田義昭・日本の医療の未来を考える会最高顧問 2019年に現在の上皇様が生前退位されました。当時は自民党の役員をしていまして、最初は大変な決断であるし、実現すれば歴史的な事だと思いました。大変な議論となりましたが、今、天皇陛下が国内でご公務に精力的に励まれているお姿を見ると、上皇の御決断は間違いではなかったと思っています。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA