医療に期待される世界レベルのAI技術
IBMの医療AI「Watson Health」の実力
原田義昭・「日本の医療の未来を考える会」国会議員団代表(自民党衆議院議員)「医療分野にも、AI等最先端の情報技術が関わってくるようになりました。医療関係の方達は、この大きな流れに一瞬たりとも乗り遅れるわけにはいかないと考えておられるはずです。この勉強会が、医療AIの現状を知る良い機会になると思います」
三ッ林裕巳・「日本の医療の未来を考える会」国会議員団(自民党衆議院議員、医師)「自民党の中でデータヘルス改革のプロジェクトチームが活動しています。相互医療支援のためには、電子カルテデータの共通化が日本では最も大きな課題となっています。ここをクリアしないと、AIの活用もなかなか進展しません」
■AIについて
IBMで「ワトソンヘルス(Watson Health)」という事業を担当しています。これから先、どのような方向に技術が進んでいくのか、という事を中心にお話ししたいと思います。
AIは一般的には「Artificial Intelligence」の略だとされていますが、「Augmented Intelligence」という言葉をIBMでは使っています。人間の能力を補強するという意味での「A」であると、AIを位置付けているのです。決して人間に置き換わるような技術ではない、という事です。
人間は物を見たり、いろいろな感覚を使ったりする事で、雑多な条件の情報の中から必要な情報を抽出するという事を行っています。コンピュータにとっては、そうした事がなかなか難しかったのです。しかし、機械学習という技術を使う事によって、どのような構造になっているかも分からないようなデータの中から、目的に応じた必要なデータを抽出出来るソフトウェアの技術が開発されました。それによって、自然言語処理も出来るようになっています。人が通常読み書きするような言葉は、人間にはすごく簡単ですが、コンピュータには処理するのが難しいのです。しかし、その技術も大きく進歩しつつあります。
患者さんが病院に行って診察を受けると、電子カルテにいろいろな情報が書き込まれます。自然言語で書かれたその電子カルテを読んで、医師の診断を支援するようなシステムが出来るのではないかという事で、AIを使った診断支援システムが開発され、試作されたプロトタイプが訓練されてきました。FDA(米国食品医薬品局)や日本のPMDA(医薬品医療機器総合機構)は、そうしたAIの技術をどのように管理し、診療の現場で使えるようにするかという難しいテーマに取り組まれています。
■ディベートが出来るAIもある
AIは「ナローAI」「ブロードAI」「ジェネラルAI」という3つのレベルに分類する事が出来ます。最初に実現したのは、1つ1つの事だけがうまく出来るナローAIです。囲碁や将棋等、シンプルで比較的狭い領域のものであれば、どんどん鍛える事によって、人間を上回れる事が既に実証されています。しかし、ヘルスケアの領域は非常に幅広く、1つの疾患をとってみても、文献だけでも相当な分量があります。そういったものを理解するAIが、人のレベルに達するのはなかなか難しいと言えます。
現在の研究者達には、ナローAIの作り方は分かっています。しかし、人間の脳のように、1つの事を学んで、それを他の事に応用出来るような広がりを持つジェネラルAI(汎用的なAI)の作り方は、まだ誰にも分かっていません。ジェネラルAIに向けて研究が進められているわけですが、一足飛びにそこまで行くのは無理です。そこで、ナローAIとジェネラルAIの中間的なものとして、比較的広い領域の事が出来るブロードAIの開発を目指しています。そこに向けて各社がしのぎを削っているのが現在の状況です。
ブロードAIのために、1つの知識ベースから複数の事が出来る技術や、テキスト・音声・画像といった異なるデータソースを組み合わせる技術が開発されています。こうした技術を開発する努力を継続しています。
2011年にアメリカのクイズ番組『ジョパディ!』で、IBMのAIが人間に勝って大きなニュースになった事があります。しかし、そのクイズAIと人間の脳を比較すると、消費電力でもサイズでも相当差があり、人間の脳の方がはるかに効率は良いのです。人間に勝ったと言っても、まだまだ研究開発の余地があると言うのが、現在のAIの技術レベルなのです。
ブロードAIの例として、「プロジェクトディベーター」というディベートするAIが開発されていて、ディベートのチャンピオンを相手に実力を試した事もあります。あるテーマが設定され、聴衆の中に賛成の人が何人、反対の人が何人いるかを調べます。その後、ディベートを行い、賛成から反対に変わる人数と、反対から賛成に変わる人数のどちらが多いかで、勝敗を決するのです。ディベートは、まずプロジェクトディベーターが意見を言い、チャンピオンが反論し、更に反論するというやり取りを3往復する形で行われました。
プロジェクトディベーターは大量にデータを持っているので、そのデータを使って説得力のあるスピーチをします。人間の方はさすがにチャンピオンだけあって、感情に訴えるような話し方もします。結果はチャンピオンが勝利したのですが、AIも反論に対する反論などで、高いレベルのやり取りが出来る事を証明しました。
■メディカル領域での研究
IBMは数千人規模の研究者が東京を含めた世界各地で研究を進め、米国の特許取得件数で26年間連続でナンバーワンになり続けてきました。最近は、AI、ヘルスケア、ブロックチェーン、量子コンピュータといった分野に注力しています。
新しい技術の研究が進められる事で、人間の体のいろいろな情報がデジタル情報として取り出せるようになってきます。それが医療の研究を加速させるのですが、1つの例としてマイクロバイオームについて紹介します。
人間の体内にいるバクテリアであるマイクロバイオームの研究が近年進められていて、病気や健康状態と深い関わりがある事が明らかになってきました。人間の体を構成する細胞は37兆個と言われています。マイクロバイオームの数は、それと同じくらいという説もありますが、一桁多い数百兆個のバクテリアがいるという説もあります。このようなビッグデータを使い、人間の健康状態をキャラクタライズするという研究が進められているのです。そして、既にいろいろな病気との関連性についての研究成果が出てきています。具体的には、自閉症、アルツハイマー病、クローン病といった病気との関連が明らかになりつつあります。
バクテリアの遺伝子のシーケンシングによって、大量のビッグデータを作成する技術が今はあります。それにより、口の中、皮膚、腸の中、子宮等にあるマイクロバイオームが、だんだん可視化されるようになってきました。そういったマイクロバイオームのデータと健康状態を学ばせて、マイクロバイオームの情報から、年齢、BMI、病気になりやすいかどうか、といった予測を行います。今回発表された研究では年齢を当てる事に挑戦していますが、若い人達に関しては、口の中と皮膚のマイクロバイオームを計測する事で、年齢を推定出来る事が明らかになったとしています。この研究をもっと進め、マイクロバイオームと病気の関連が分かってくれば、医療に応用出来るのではないかと研究者は言っています。
■医療現場にAIを持ち込む理由
IBMのワトソンヘルス事業部で行っている事について説明します。
この分野の研究が加速し始めたのは、ヒトゲノム計画が終了した2003年からです。遺伝子の情報が読み解かれた事で、遺伝子のビッグデータをコンピュータで解析する事なしに、医療の発展はないという事で、循環器領域での研究を始めたのです。そこからMDアンダーソン、スローンケタリング、メイヨークリニックといった医療機関との研究が加速していきました。特にメイヨークリニックとは、電子カルテとうまくマッチングさせたAI「Watson for Clinical Trial Matching」を開発し、現在、メイヨークリニックの複数の拠点で使用されている状況です。日本に持って来るとなると、それが医療機器かどうかという問題が生じるため、現在のところ日本では展開出来ていませんが、今後は日本で展開する事も考えていきたいと思っています。
これからAIが適用される領域としては、医療画像の分野があります。この分野は日本の研究開発も進んでいますので、日本で展開する前にアメリカで開発し、まずFDAの認可を取る必要があります。なぜ画像を解析するAIが医療現場に必要なのかと言えば、放射線科の医師が足りず、いつも忙しい状態が続いているからです。そのため、予期しない異常を見落とすリスクもあります。画像検査等の医療データが大幅に増大した事により、医療従事者への負担が高まっています。だからこそ、AIを使って医師の診断を補強する必要があるのです。これがAIを医療現場に持ち込む理由であると、私達は考えています。
人間が得意な事として、常識だとか、愛情だとかがあります。一方、AIにも得意な事があります。AIは疲れを知らないコンピュータですから、1日24時間、毎日でも働き続ける事が出来ます。また、大量のデータを一気に扱うのも得意です。これからは、人間の得意な事とAIの得意な事を組み合わせた形で、診断支援AIを作っていくべきであると、私達は考えています。
■エビデンスに基づいた処方を支援
日本IBMが取り組んでいる「マイクロメデックス(Micromedex)」という製品があります。医師や薬剤師が薬を処方する際に、エビデンスに基づいた意思決定が出来るように支援する役割を果たします。処方しようとする薬の薬効や毒性や相互作用等についての医療情報やエビデンスを取得し、それをすぐに取り出せるようにしたソリューションです。
現在、多くのアメリカの薬剤が日本に輸入されています。製薬企業は自社の薬に関する情報は提供しますが、薬と薬の相互作用や薬と食品の相互作用といった横串の臨床情報は、論文を読まなければ分かりません。そこで、クリニカルエキスパートが論文を読み、重要な情報を提供するといったサービスが、AIが医療に導入されるようになる20年ほど前から行われてきました。
マイクロメデックスはその仕事をするわけですが、クリニカルエキスパートが論文を読み、内容を整理し、コンテンツを作成する、という方法に準拠した形で情報を整理しています。そして、投薬管理、毒性管理、疾病管理等の情報を、インターネットからブラウザ経由で各モバイルデバイスに提供するようになっています。
新しい薬剤が次々と登場し、医療データが膨大化する現代において、薬剤処方には多くのエビデンスに基づく臨床情報が必要となります。そこでマイクロメデックスとAI技術を組み合わせる事で、求める情報に到達する方法を変え、薬剤処方を加速化する事を目指しているのです。
冨岡勉・「日本の医療の未来を考える会」国会議員団(自民党衆議院議員、医師)「現在、ゲノム医療基本法を作っています。遺伝子の傷が発がんに繋がり、遺伝子の傷が治療薬の選定に繋がるのですが、現在は10人くらいの専門家が集まったエキスパートパネルで、遺伝子検査の結果を診断しています。しかし、これだけ情報量が多くなると、それを全て覚えるのは無理です。ここにAIが登場してくるのではないでしょうか。医療画像だけでなく、遺伝子の傷の情報についても、IBMは盛んに研究しているのだろうと思います。今後、ゲノム医療にどのように関与していくのでしょうか」
溝上「がんゲノム医療は、以前からワトソンヘルスの重要なテーマの1つでした。がんは遺伝子の異常がもたらす病気で、その遺伝子異常には非常に多くの種類があります。それを研究者が1つ1つ丹念に調べ、病態をつかみ、薬を作ります。そして論文を書きます。そういった作業が現在も継続されているわけです。その論文を全部読み込んで、患者1人1人の検体から読み解かれた変異情報を解釈して、薬の選択に繋げていく。そういう部分を支援するAIを開発しています」
尾尻佳津典・「日本の医療の未来を考える会」代表(集中出版代表)「アメリカのIBMを訪問した時、ジャパンスルーという事を言われ、ショックを受けました。日本は相手にしないという事だと思いますが、その理由について、差しさわりのない範囲で教えていただけないでしょうか」
溝上「スルーしようと考えている、という事はないと思います。日本はGDP(国内総生産)世界第3位の国でもあり、市場として非常に大きい事はよく分かっています。ただ、難しい点があるのも事実なのです。ヘルスケア行政は国ごとに異なりますし、日本には個人情報保護法というかっちりした仕組みもあるため、その中で事業を展開するのには難しさがあります。特にワトソンヘルスを始めた5年前は、その辺りの事が分かりにくいという事で、二の足を踏んだのではないかと思います。日本にはまだチャンスがあるのだという事を言い続けるのが、IBMの中での私の仕事です」
中村達志・日の出医療福祉グループ関東事業本部長「マイクロメデックスについて伺います。世界中の医療機関や研究機関で、どのように利用されているのでしょうか」
溝上「主に使用されているのは、病院の医師や薬剤師の方々です。国に合わせてローカライズすると、使用頻度が高まるようです。例えば台湾では、台湾のコンテンツを入れる事で、使用頻度が高まったと聞いています。台湾の薬剤師はアメリカで勉強し、英語で仕事をする能力を身に付けて台湾に帰っているので、英語のシステムが全く苦ではないらしいのです。日本でも、ローカライズしていく事は大切だと思っています」
荏原太・すこやか高田中央病院院長「iPS細胞(人工多能性幹細胞)の利用が海外に追い付かれてしまっている今、私見ですが、日本が唯一優位性を保っているのはマイクロバイオームの分野ではないかと思っています。IBMはなぜそこに目を付けたのでしょうか。マイクロバイオームにフォーカスした理由と、その将来性について教えてください」
溝上「研究者に聞かなければ正確な事は分かりませんが、私の推測を交えてお答えします。研究者の人達はスポンサーを見つけて研究活動を行っていますから、おそらくマイクロバイオームの分野にニーズがあるとにらんだスポンサーがいるのでしょう。ビジネスチャンスがあると考えた人がいるので、そこに研究者達が吸い寄せられたという事ではないかと思います」
戸田裕典・ニューポート法律事務所代表弁護士「マイクロメデックスは法律の分野でもニーズがあるでしょうか。弁護士が利用するような事は想定していないのですか」
溝上「現在の時点では、弁護士の方が使っている例があるという事は聞いていません。ただし、データベースですので、応用の仕方は幅広いはずで、利用するのを病院の医師や薬剤師に限定する必要はないとは思います」
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