日本の医療の未来を考える会

第91回 職員保護が欠かせぬカスハラ対策 医療と事務対応の切り離しが重要(井上法律事務所所長 井上清成弁護士)

第91回 職員保護が欠かせぬカスハラ対策 医療と事務対応の切り離しが重要(井上法律事務所所長 井上清成弁護士)

医師の説明や看護師の対応等に対し、執拗に説明を求め、無理な要求を繰り返すクレーマーの対応に苦慮する医療機関は少なくない。そうした中、今年6月に労働施策総合推進法が改正され、カスタマーハラスメント(カスハラ)対策の強化が盛り込まれた。医療機関にとっては悪質なペイシェントハラスメントの抑止にも繋がると期待する関係者も多いが、応召義務との兼ね合いに不安を抱く声も聞かれる。9月17日の「日本の医療の未来を考える会」では、医療の法務に詳しく、本誌連載「経営に活かす法律の知恵袋」でお馴染みの井上法律事務所所長、井上清成弁護士にペイシェントハラスメント対策について講演して頂いた。


原田 義昭氏 「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)
10月4日は自由民主党の総裁選が行われます。今回の総裁選の非常に珍しい点は、少数与党の状況下で行われるという事です。野党の影響がどの様に出るか、注目されるところであります。他党との連立や国会運営の在り方等も議論されていますが、日本の政治の新たな出発点となる事を期待したいと思います。

東 国幹氏 「日本の医療の未来を考える会」国会議員団代表(衆議院議員、財務大臣政務官)
私が若かった昭和のバブル経済期は、ハラスメントが有っても「それを乗り越えて一人前」と美談の1つに捉える風潮が有りました。しかし、今は時代が変わり、当時を知る人は頭の切り替えを求められる様になりました。最近は顧客や患者によるハラスメントも社会問題になっています。病院として何をすべきかを、本日の講演で学びたいと思います。

門脇 孝氏「日本の医療の未来を考える会」医師団代表(日本医学会会長、虎の門病院院長)
私も病院の経営者としてペイシェントハラスメントへの対応に非常に頭を悩ませています。ハラスメントは、正しく対応しなければ医療従事者や病院を守る事も出来ないという、非常に深刻で重大な問題です。本日はハラスメントの本質や対応の秘訣を教えて頂ける事を期待しており、議論も深めていきたいと思っています。

尾尻 佳津典日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)
井上先生は、弁護士として医療の現場や医療行政に精通し、病院側に立った活動を続けています。井上先生のお陰で窮地を救われ、本当に助かったという経験をした病院経営者も多いのではないでしょうか。ペイシェントハラスメントの問題は病院を非常に悩ませる問題の1つですが、今回の講演によって、法律的な悩みの解消に繋がる事を期待します。

講演採録
■被害を放置すると重大な経営リスクに

セクハラやパワハラ、カスハラ等、最近はハラスメントへの対策が求められる時代となりました。ペイシェントハラスメントも医師の応召義務との兼ね合いの問題は有りますが、カスハラの一種です。

カスハラでは、謝罪の方法を巡って問題が拗れる事が有ります。これはハラスメント対策を考える際に最も注意すべきポイントで、例えば地域に密着した医療機関等にとっては、トラブル処理に当たって悪い噂が拡散すれば、致命的なリスクになり得ます。そこで、先ずは謝罪の技術的な難しさについて、未だ記憶に新しい「中居正広氏のセクハラ疑惑を巡り、フジテレビの対応が問われた問題」を取り上げながら説明します。

この問題では、当事者の1人である中居氏がお詫びのメッセージを発表したところ、その内容を巡り猛烈な批判を受けました。声明文は恐らく法律の専門家も目を通している筈で、非常に考えられた文章だと思います。しかし「示談が成立したことにより今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」との一文が、被害者への配慮を欠き、誠意より自己都合を優先した印象を与えるとして批判を集め、反発が一気に広がりました。

これについて私は、問題は本当にあの一文に尽きるのかと疑問を抱いています。寧ろ批判拡大と報道の契機となったのは、その有無よりも「トラブルが有った事は事実だと認めた」点に有ったと考えます。各マスコミは、それ以前から一定の情報を把握していたものの、誤報による訴訟リスクを恐れて報道を控えていました。ところが、当事者が抽象的な表現ながら事実を認めた事で、報道は一斉に解禁され、批判も急速に広がっていったのです。ですから、事実を認める際には極めて慎重でなければならないという事です。

又、批判の拡大を受け、フジテレビの記者会見が生中継されましたが、当時の港浩一社長の発言にも驚きました。港氏は「トラブルを何時頃聞いたのか」と問われ、「発生直後から把握していた」としつつ「弁護士の協議については知らない」と発言。結果として「1年間十分な調査をしなかった」と受け止められ、対応の遅れが強く批判されました。先日、港氏と元専務の大多亮氏に対し、フジテレビが50億円の損害賠償訴訟を起こしました。会社法上の善管注意義務違反(経営者として通常求められる注意を怠った)を問うものです。これは、経営者がハラスメント問題を認識しながら適切な対応を怠れば、巨額の損害賠償に発展するリスクが有る事を示す事例と言えます。

中居氏が起こしたトラブルは、全容は明らかにはなっていませんが、仮にセクハラだったとすれば、フジテレビに必要な対応は本来2つでした。1つは、社員に対してセクハラをした中居氏にセクハラを止めるよう警告し、「従わなければ出入り禁止とする」と通告する事です。もう1つは、従業員を保護し、心身の不調や離職を防ぐ措置を取る事です。フジテレビはこの両方を十分に果たせていませんでした。こうした対応が求められるのは、カスハラやペイシェントハラスメント対策でも同様です。単なるクレーム対策と異なり、被害に遭った職員の保護が不可欠です。

■労働問題として被害職員の保護も義務化に

私は20年以上前から医療過誤等を口実にした悪質なクレームへの対応を手掛けてきました。多くの医療機関でも患者からの苦情処理に取り組んできたと思いますが、今年、パワハラ防止法とも呼ばれる労働施策総合推進法が改正され、カスタマーハラスメント対策も企業に義務付けられる事になりました。施行は来年になると見込まれますが、これによってカスハラに対し、効果的な対策が取れる様になると期待されています。但し、法律の内容によってはカスハラ対策は組織内部の在り方や労働問題に波及する可能性が有り、その点には注意が必要です。

昔であれば、高齢者が看護師の体を触る等のセクハラが有っても、上司が「それ位の事は上手く対応しろ。そうした患者に対応するのも、看護技術の内だ」と言った事も有りました。しかし、今はそうした事を言うと、セクハラを容認して、被害者を放置したと言われてしまう。しかも、法律で職員の保護が義務付けられる様になれば、対応が不適切だった場合、安全配慮義務を怠ったとして経営者が訴えられる事態にもなり兼ねません。

「そうした患者がいれば、病院から追い出す」という強気の経営者もいますが、「患者が減ったら困る」と躊躇する病院も有るでしょう。これがハラスメント対応の難しさでもあります。加害者の抑止と被害者の保護のバランスを考える事が必要です。

労働施策総合推進法の所管は厚生労働省ですが、主に労働基準監督署が対応し、労働政策という位置付けです。つまり、ペイシェントハラスメントは医療の問題であると共に、労働問題であるという視点が欠かせません。ハラスメント事案が起きた際、具体的な対応には、1つ1つ手順を踏む事が必要です。「最終的には辞表を書いて貰わなければならない」とか、「懲戒解雇は避けられない」等は、弁護士であれば、過去の事例から予測は付きますから、先ずは相談しても良いでしょう。そして、「時間が掛かるのは面倒だし結論は同じだ」と、段階を省いて結論を急いではいけません。後から「事実認定を怠り、ハラスメントを隠蔽した」「事実を有耶無耶にして強引に解決しようとした」等と言われる恐れが有ります。中には、そうして相手を罠に掛け、交渉を有利に運ぼうとする相手もいます。

又、患者からクレームを受けた時は、先ず「患者側に損害が有ったか」「医療機関側に過失が有ったか」を推認する事が大切で、それに基づいて対応を検討します。「取り敢えず様子を見る」と手をこまねいていては対応が遅れてしまいますし、「先ずは謝っておこう」と安易に謝ってしまうのは最悪です。謝罪の内容が裁判の証拠となり、6000万円の損害賠償を命じられた判例も有ります。

■悪質なクレームには事務的な対応の徹底を

ペイシェントハラスメントに関しては、応召義務との兼ね合いを心配する病院も有ります。又、病院から診療を断られると「医師には応召義務が有る」と主張する患者も実際にいます。しかし、これについては厚労省が2019年に、患者の迷惑行為によって、「信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化される」との通知を出しています。他の医療機関を紹介すれば、応召義務に反した事にはなりませんから、紹介状を渡して、同じ診療科の有る医療機関を幾つか紹介するといった対応は、よく行われています。そして、理不尽な要求をしたり治療を求めて居座ったりする患者には、組織として方針を決めて対応し、決して被害に遭ったり対応に当たったりしている職員を孤立させてはいけません。

米国の企業等を見ると、経営者は経営に専念し、法律に関する事は弁護士に任せ、ビジネスと法律の世界を厳格に分けています。ハラスメントの問題も同様に、クレーム等の対応は弁護士に任せた方が、不用意な対応で責任を問われ多額の損害賠償を支払わなければならないという事態も避けられます。

もし病院が対応する場合でも、出来る限り担当医師は出さない。仮に医師に対応させる場合も、上司の医師が同席する事が重要です。

私達がクレームに対応する時は、説明文書を作成して交付しています。苦情に対して誠実に対応したという事を示す為にも、文書を交付して個別の対応は終了するというのが一般的です。相手が納得するまで面談に応じていては、切が無い。文書の内容に疑問や反論が有る場合も、文書で受け付けます。又、私は「診療関係調整調停」と呼んでいますが、簡易裁判所に調停を申し立てるという方法も有ります。調停の場に持ち込めば、それ以上苦情を言って来るクレーマーは殆どいません。

患者が執拗に対応を要求してきたり、威圧的な態度を取ったりしてきた場合は、「餅は餅屋」と考え、是非弁護士や警察に任せて下さい。医師や看護師ら医療従事者がクレーマーから自分の身を守る事を考える必要は無く、医療の仕事に専念して頂きたいと思います。

質疑応答

尾尻 悪質なクレーマーに関する情報を他の医療機関と共有する事は出来ないのでしょうか。又、クレーマーが裁判を起こした時、裁判所は患者側に有利な判断をする傾向は有るのでしょうか。

井上 患者の医療情報とは別の情報であっても、円滑な患者受け入れを進めるという観点から、必要且つ相当な範囲内であれば、医療機関同士で共有する事は許されると思います。裁判については、先ず、損害が有るのか、医療側に過誤が有るのかという点に着目します。実害が無く大きな過誤も見当たらない場合は、直ぐに結審する事も少なくありません。

小崎慶介 (福)心身障害児総合医療療育センター所長 障害児の医療施設では、保護者からクレームを受ける事が有ります。時には適正な治療を提案しても、家族が受け入れずに、説明さえも聞いて貰えない事が有る。医師らは、子供を助けたいという思いと保護者からのクレームとの間で板挟みになり、疲弊してしまいます。こうした事態に、どの様に対処すれば良いでしょうか。

井上 家族が患者の利益を考えずに、自分達の考えに固執する場合は、病院側も「この様にすべきだ」とはっきりと主張する事も必要だと思います。医師として十分に説明を果たしたのであれば、以降は医療の問題と切り離して、事務的に対応する事も必要になるでしょう。

土屋了介 (公財)ときわ会顧問 先生の仰る診療関係調整調停とは、どの様に進めて行けば良いのでしょうか。

井上 私の場合、成り行きによっては調停に持ち込む必要が有ると考えた時、かなり早い段階から、病院側に「話し合いが進まなければ、調停に持っていきましょう」と話します。その上で、質問も含め、基本的には文書で事務的にやり取りする。患者側が納得しない場合は、「弁護士から病院の立場を説明させて頂きます」と伝えて貰い、バトンタッチするという体裁を取る。それでも決着しない場合は、裁判所に調停を申し立てるという流れで進めていきます。大抵のクレーマーは調停を嫌がります。そして、一度調停の場に持ち込まれると、成立してもしなくても、病院に再び苦情を言ってくる患者は殆どいません。

大友康裕 国立病院機構災害医療センター病院長 クレーム対応には、なるべく医者を出さずに、事務的に対応し、医師が対応する場合でも上席を同席させるとの事ですが、こうした対応にはどの様な意味が有るのでしょうか。

井上 治療方針や病状等の説明を担当医がするのは当然ですが、診療以外の内容についての苦情を言ってきたり、一通りの説明が終わった後も繰り返しクレームを付けてきたりした時は、事務的に対応するという事です。医師は非常に忙しいので、時間的にも精神的にも、医療以外での負担を軽減する事が出来ます。そして、クレームに医師が対応せざるを得ない時に上司を同席させるのは、医師の中にはクレーマーに狙われ易い人もいるという観点からです。この為、相手に付け込まれない様に立場の違う人間を同席させ、複数で対応した方が良いという事です。

宮本隆司 (福)児玉新生会児玉経堂病院病院長 産業医をしていますが、働き方改革で時間外労働の規制が強化されて以降、業務の皺寄せが管理職に集中していると感じます。人手不足の補充要員として外国人労働者が増えている職場も有りますが、解消するには至っていません。管理職は仕事を補う為に夜遅く迄働かざるを得ず、それを見た部下も残業せざるを得ないという悪循環が生じ、現場は疲弊しています。こうした状況はハラスメントにも繋がり兼ねず、何れ医療界にも及んでくるのではないかと危惧しています。人手不足にどう対応し、職場を守っていけば良いのでしょうか。

井上 今、長時間労働をさせてはいけないと、国も対策を強化していますが、時間外労働ばかりを取り上げて、そこだけ厳格に運用しても、労働環境全体を見れば辻褄が合わなくなるという事だと思います。何処かにゆとりを持たせて、全体のバランスを取っていく必要が有るでしょう。医療界について言えば、几帳面に取り組み過ぎる傾向が有るのではないでしょうか。あまり生真面目に取り組み過ぎて、自分の首を絞めてしまわない様にすべきだと思います。

舩津到 (医)三医会鶴川記念病院理事長 患者からのハラスメントや理不尽なクレームへの対策として、病院内に防犯カメラを設置する事を検討していますが、どの様な点に注意すれば良いでしょうか。運用する場合は、プライバシーへの対応として、常時撮影するのではなく、問題が起きそうな時だけ撮影するといった配慮が必要でしょうか。

井上 防犯やトラブル防止等の観点からカメラを設置していると周知した上で、オープンスペースにカメラを設置する事に問題は有りません。只、病院ですから、患者の病状等が分かる様な情報が映り込まない様にする等の配慮は必要でしょう。運用は、恣意的な運用にならない様、常時録画する事が大切です。その都度撮影すると、特定の時間、特定の人だけを撮影していると受け止められる恐れが有ります。又、映像の使用範囲を明確にし、目的外には使用しないという点を明確にしておく事も必要です。

石渡勇 石渡産婦人科病院理事長兼院長 ペイシェントハラスメント対策には、医療側の対応も重要だという事は分かったのですが、パーソナリティ的に問題の有る人や反社会的な人、自分の考えに固執して説明を理解してくれない人等には、どの様に対応すれば良いのでしょうか。

井上 そうした問題行動を取る患者にも、医師が誠実に向き合わなければならないという思い込みを取り払って頂きたい。医療について一通りの説明が終われば、後は医師が対応する必要は無く、事務的な対応をしてくれる人や弁護士、時には警察に対応して貰って、医師は医療に専念する事が必要だと思います。

宮入剛 JR東京総合病院院長 今、診療に支障を来す様な患者を排除する為、所謂「ブラックリスト」を作成しようと、検討しているのですが、診療を拒否する場合について、「緊急時を除く」の文言を入れるかどうかで意見が分かれています。反対意見として「緊急時」を患者に盾にされると、診療を断れなくなるという懸念も出ているのですが、どの様に考えたら良いのでしょうか。又、「信頼関係が損なわれており、今後は診察しない」という意味で、ブラックリストを作成する事自体は問題ないのでしょうか。

井上 要注意の患者のリストを作成する事は問題ないと思います。只、「ブラック」という言葉は、海外で差別と受け止められ兼ねないので、再考されては如何でしょうか。又、「緊急時」と入れると、クレーマーが診療を求める口実となり兼ねないので、入れない方が良いでしょう。実務では「信頼関係が損なわれているので、診察しません」といった言い方はしません。「誠実に対応し、一通りの説明も行いましたので、ここで打ち切らせて頂きます」と伝え、後は弁護士に一任するのが一般的な対応です。

Vol91_懇親会スナップ

 

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